<内容紹介>

 

『アタシは、あたしを、誰にも殺させない』
アメリカの西部開拓時代、極悪非道と恐れられた女アウトロー、リンゴ・ロッソ。

騎兵隊との銃撃戦の末、メキシコの教会に追いつめられた彼女は、

自らの人生に満足しつつ、頭を撃って自殺する。

しかし、死んだはずのリンゴの意識は、2019年の東京に転生し、

赤西林檎(あかにし・りんご)という16歳の女子高生に憑依する。

林檎もまたビルから飛び降りて、自らの命を断とうとしていた。

とっさに体を操ってリンゴは彼女を助けるが・・・。

 

恋を知らず、血と暴力の世界をひたむきに生き抜いた女と、

恋を知り、悪意を知って死へと追い込まれていく少女。

二つの魂が時を超えて交わり

本当に求めていたものをつかみとる、

0,001秒にして10日間の狂おしい物語。

 

 

 

◆試し読みサンプル◆

 

 


1.リンゴ

 

 

 銃声のこだまが消えて、教会の中はとっても静か。ガンベルトから葉巻を抜き出し、マッチを擦って火をつける。ハバマ産レイ・デル・ムンド。アタシの一番のお気に入り。

 

「じじ、銃を捨てなさぁい、リンゴ・ロッソ!くく悔い改め、神神神のごっごっ御慈悲に、すがすがすがり」

 

 州兵たちの死体に囲まれ、漏らした小便の上に突っ立ち、チワワみたいにブルブル震えて、若い神父がわめいてる。泣きながら笑いながら脅しながら命乞いを している、そいつの顔に狙いをつけて、ガトリング砲をアタシは撃つ。轟音が響き、炎が爆ぜ、首から上がブシャッと砕けて神父の体が崩折れる。アーメン。そ れで震えも止まったろ。葉巻をくわえた唇の端で、吐き捨てるようにアタシはつぶやく。

 今のひと撃ちで弾倉が空になり、ガトリング砲が死んでしまった。足下の血溜まりに葉巻を落として、倒れてる手下たちをアタシは見回す。さっきまで息の あった数人が絶命していることを確かめ、今ここで生きているのが自分だけになったと知る。ひどく寒いのは、撃たれた左肩の出血が止まらないからだ。アタシ は近くの手下の死体のシャツを脱がして包帯を作り、左肩を巻き、きつく縛って、それからひゅうーと息を吐き出し、天窓から差し込む光の中で、埃の粒が砂金 みたいにキラキラ光って流れるを見つめる。

 メキシコの真夏の太陽は、教会を包囲している100人の騎兵をじぶじぶローストしているはずだ。汗臭い馬にまたがり、蠅と虻の群れにたかられ、熱中症になりかけながら、突入の合図を奴らは待ってる。間抜けどもめ、とアタシは笑う。命令が出るのは夜なのに。

 騎兵隊長は日没を待ってアタシを生け捕りにする腹だ。メキシコシティに連れて帰って、広場の真ん中に処刑台を組み上げ、野次馬を集めて、アタシを吊し て、晒し物にするために。アメリカから流れてくる無法者への見せしめにするために。でも、無慈悲な太陽にあぶられ続けて脳が煮えてる州兵たちは、『生け捕 り』って言葉の意味を夜まで覚えていられない。連中は撃ちまくって、アタシを殺して、アタシの死体を全員で犯して、切り刻んで踏みにじって、アハアハゲラ ゲラ笑うだろう。

 

 もちろんアタシはどっちもごめんだ。

 アタシはアタシを、誰にも殺させない。

 ケリは自分の手でつける。

 

 拳銃に残った弾丸は4発。すべてを終わらせるには十分な数だ。銃身にそっとキスをして、アタシは説教台に腰かける。壁や天井やシャンデリアの上から、鮮やかに彩色された天使の塑像が、蠱惑的な眼差しでまっすぐこちらを見つめている。

 

 リンゴ・ロッソ最後の場所が、神の家になるとはね。

 

 アタシは微笑み、それから不思議と爽やかな気持ちになって、血と暴力に彩られた自分の人生を振り返る。飲んで、食って、殺しまくって、抱きたい男はみん な抱いて、金銀宝石札束をいいだけこの手に掴み取った。身の内から湧き出す欲望に、忠実に忠実にアタシは生きた。悔いはない。一片もだ。

 

 『リンゴ・ロッソ』

 『憐れで悲しい私の娘よ』

 

 声のした背後の頭上へ向けて、反射的に弾丸を二発撃ち込み、体をねじって息を止めたまま、銃口の先をアタシは見つめる。弾は、天井から吊されたキリスト像に当たっていた。茨の冠をつけ、磔にされ、脇腹から血を流している、痩せこけた男の彫像に。

 幻聴だ、出血のせいで耳がイカれちまったんだ、そう考えつつ呆然と、聖者の像をアタシは見つめる。ガラスでできた青い瞳が憂いを湛えて光っている。

 最後を迎える、今この時に、こんな奴の声を聴いてしまった。自分の思わぬ弱さと脆さに、唯一綺麗だったところを汚されたような気がして、驚きと怒りに震えながら、声に出さずにアタシはつぶやく。

 

 懺悔はしねえぞ、オッサン。

 

 告白で、人間は変わらないし、魂が清められることもない。心にため込んだ罪の意識を、懺悔室でゲロってスッキリしてから、盗みや殺しに出かける奴らがア メリカ中に溢れてる。でも、そいつらは自分がやってることを分かっているだけ全然マシで、やっかいなのは、心の底から、アンタとアンタが与える許しを信じ 込んでる連中だ。

 アリゾナ砂漠のはしっこに住み着き、ダラダラ畑を耕しながら、貧乏から抜け出せないのを『おぼしめし』として何もしないで、ファックだけはどんどんやって考えなしに子供を作り、口減らしに長女のアタシを10ドルで人買いに売り払い、さよならゴメンね愛してると泣いた、イタリア移民のアタシの両親。

 娼婦たちの部屋と馬小屋と便所を、朝メシ昼メシ抜きで掃除させ、夕メシに腐りかけの残飯を食べさせ、夜になると嫌がるアタシをベッドの中へ引きずり込んで、可愛い可愛いと犯しまくった、売春宿の髭面の亭主。

 バーボンの瓶や、ビリヤードのキューや、弾丸の入ったリボルバーの銃身を、娼婦になりたてのアタシのヴァギナに次から次へと乱暴に突っ込み、朝まで酔って笑い転げた、隣町の善良な牧童たち。

 賞金首を捕らえるたびに、わざわざアタシを事務所へ呼び出し、肉が裂け、骨が見えるまで罪人の背中を鞭で打ちすえ、それを見ているアタシの顔を舐め回すように見つめながら、尻を揉み、股に手を入れてきた、金髪の若い保安官。

 みんな敬虔な神の子だった。

 日曜のミサの神父の説教に真剣な顔で聞き入りながら、伏せた睫毛に涙を光らせ、十字を切ってるヤツらだった。

 農夫も娼婦も牧童も保安官も、アンタのことを信じてる奴らは、心が二つに裂けていて、裂けてないのはアウトローだけで、だから荒野ではすべての人間が邪悪だ。そしてその全部の連中からアタシは食い物にされてきた。

 16歳の誕生日、あの特別な朝が来るまでは。

 

 その秋の明け方、町外れの川の岸辺で、娼婦たちのシーツを洗いながら昇る朝日をアタシは見ていた。とても綺麗な朝焼けだった。空気はどこまでも透きとお り、川の水は澄み切って、風景は赤と紅と桃色に染め上げられて燃えていた。アタシは洗濯の手を止めて、川の流れに膝まで入り、太陽に向かってまっすぐに立 ち、両手を広げて目を閉じた。この奇跡みたいな景色の中に溶けて消えてしまいたかった。髪に、頬に、腕に、胸に、光が染み通るのを感じた。肉から骨へと熱 が伝わり、体のいちばん奥まで届いた。

 そしてアタシは唐突に、自分が生きることを心の底から諦めてしまっていることに気づいた。

 足下の川面に雫が落ちた。それはアタシの涙だった。後から後からあふれ出て、止めようとしても止まらなかった。流れの中に座り込んで吠えるようにアタシ は泣いた。朝焼けが終わり、風景が見なれたものに戻った頃に、ようやくアタシは泣きやんで、自分がしなければならないことを、震える心ではっきり悟った。

 

 アタシは、アタシを、誰にも殺させない。

 この土地に縫いつけられた魂と体を自由にするんだ。

 

 アタシは川から上がって町まで走って、保安官事務所へ駆け込んで、金髪の保安官から拳銃を奪い、額の真ん中を撃って殺して、売春宿へ戻り、寝ている亭主 のペニスと心臓を撃って殺して、金庫をこじ開け、中にあった札束と金貨をカバンに詰め込み、バーへ行って酒樽を壊し、マッチを擦って酒だまりに投げ込み、 蒼い炎がしっかりとカウンターや棚に回るのを確かめ、それから裏の馬小屋へ行って一番力のある馬を引き出し、ゴウゴウと燃え上がる炎の音と、娼婦たちの悲 鳴を聞きながら、馬にまたがり、鞭を入れて、糞みたいな町を出た。

 正しい事をしたと今でも思う。

 

 それからたくさんの町を渡り、州の境をいくつも越えた。欲望に忠実に行動し続け、邪魔する者は容赦なく撃った。

 やがて人はアタシのことを、リンゴ・ロッソと呼ぶようになった。

 動くものなら赤ん坊でも撃ち殺す女アウトロー。

 尾ひれがついて膨らんだ噂は、あっという間に西部に広まり、捕まえて賞金と交換するか、ねじ伏せてファックしてやるつもりで、たくさんの無法者がアタシに会いにきて、全員アタシの手下になった。

 そいつらを使って銀行や列車を片っ端からアタシは襲った。冷徹に計画し、大胆に実行し、暴力を迷わないアタシのことを、男たちは女神のように崇め、忠誠 を誓ってくれたけど、軍隊や保安官との銃撃戦でそいつらがバタバタ撃ち殺されても、悲しいとか可哀想とか思ったことは一度もなかった。アタシにとってあい つらはただの道具だったから。

 ファックした男たちもそう。端正な顔立ちや、逞しい胸板や、キュートなヒップやペニスに惹かれて、ベッドはもちろんそれ以外のあらゆる場所で交わってき たのは、アタシの中に棲んでいるメスが、あのオスが欲しいどうしても体の中に入れてみたいと、強く激しく求めたからで、それ以外の理由はなかった。飢えを 満たせればそれでよかった。なのに一度体を重ねると、男たちはアタシに恋をし、アタシの後をつきまとって、アタシの命を危険に曝す。そうなると痛めつけて 追い払うか、殺すしかなくなった。

 賞金首のアウトローにとって、色事の後腐れは死を意味する。だから恋をしたことが、これまでアタシは一度も無い。

 

 恋をしたことが、これまで、アタシは、一度も無い。

 

 ブルッ、と胴震いしてアタシは我に返り、右手で頬をひっぱたいて、朦朧と過去に浸り込んでた自分の頭をシャッキリさせる。天窓から差し込む陽の光の束 が、壁の上をずいぶん動いている。舌打ちしてアタシはキリスト像を睨み、左目を狙って拳銃で撃つ。像の頭の左半分が砕け散って、破片が降る。

 そうだよ、アタシは恋を知らない。

 だから、それが、どうだっていうんだ?

 片目になったキリスト像から、麻痺しかけてる左手に目を落として、ざわつく心をアタシは鎮める。

 

 リンゴ・ロッソ。非道なアウトロー。

 欲望のままにここまで生きた。

 人生に一片の悔いもない。

 

 真っ赤に濡れた掌に、何度かそれを確かめる。

 残った右目に光を集めて、男はこちらを見下ろしている。

 フン、

 とアタシは鼻を鳴らす。

 人の弱り目に付け込んで、命を吸い取る吸血野郎。でも、まぁ、オスとしては、チャーミングな方かな。天国で会ったら一回くらいファックしてやってもい い。ただ、そん時はアタシがアンタの精気を根こそぎ吸い取ってやるけどな、とそこまで口にし、気が付いて、アタシは思わず吹き出し笑う。プ、アッハハ。何 言ってんだ。

 行くのは地獄だ、この男はいない。

 笑い声が短く響いて、教会の中から音が消える。少しだけアタシはその静けさを聴く。

 説教台の上から腰を下ろし、背筋をしゃんと伸ばして立つ。

 拳銃を右手で握り直し、銃口を右耳の穴に押し当て、撃鉄をしっかり親指で起こし、胸一杯に最後の息を吸い込んでから、目を閉じる。

 血と鉄と火薬と、太陽の匂いが、鼻の奥にじわりと広がる。何度も何度も嗅いだ匂い。

 アタシの最後にふさわしい香りだ。

 

 Addio, Deserto occidentale.

 (さよなら、西部の荒野)

 Addio, Vita senza legge.

 (さよなら、無法の人生)

 Addio, LINGO-ROSSO.

 (さよなら、リンゴ・ロッソ)

 

 Ciao.

 (じゃあな)

 

 そしてアタシは引金を引く。


(この時、キリスト像の右目の縁にふるふると涙が湧き上がり、睫毛の先 に集まって、そこで珠になり、静かに落ちた。それはまるで、意志を持った生き物のように宙を舞い下り、拳銃の撃鉄の先端に当たった。直後にアタシの人差し 指が引き金を絞り切った。聖者の涙に濡れた撃鉄は、シリンダーの中に残された最後の弾丸の雷管めがけて、ゆっくりと落ちて行った ──── )

 



2.林檎


 強い風に体を押されて、閉じていた目をあたしは開く。
 いちめんのビルの森が、目の前に広がっている。
 その隙間を、人と車が、蟻みたいに行き交っている。
 世界のすべてを見下ろせるところに、たった一人で、あたしは立ってる。
 空は鉛色の雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだ。
 
 ここは東京。
 ここは渋谷。
 ここは109の屋上に組み上げられた、すごくぶっとい鉄骨のはしっこ。
 ここにいるのは、飛び下りて、自分の命を終わらせるため。

 あたしは林檎。
 赤西林檎。
 私立渋谷杏林高校1年3組、出席番号2番。16才。

 

 

 

 

 

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